隙間を埋めるお仕事

エンジニアの未来サミットには参加してないけどこの辺読んでみた。
http://b.hatena.ne.jp/t/EngineerSummit

真面目な話、エンジニアの未来はどうなるの?これからどう切り開いていこうか?的な話が出るのを期待していたのに。結局話題の中心は10年泥ですか、そうですか。。。正直がっかりでした。

[http://yoppa.blog.shinobi.jp/Entry/64/:title=エンジニアの未来サミットに行ってきた[第1部:アルファギーク vs.学生−エンジニア業界の過去・現在・未来,そして期待と現実] - よっぱ主義。]

話の展開が期待していたものと違っていたという感想が多い印象。

先日のエンジニアの未来サミットで、「自分の人生は自分で決めよう」ということを言ったら、よしおかさん、自己責任論言いすぎと揶揄された。自分は、一言も「自己責任」という言葉を使っていないつもりだったのだけど、世間ではそうとらえるのねと非常に勉強になった。

2008-09-23 - 未来のいつか/hyoshiokの日記

その場にいなかったので想像するしかないですが、学生とスピーカーの人たちとではギャップが大きすぎるのではないかと。
学生 (壁) 新入社員 (壁) 普通レベルの技術者 (壁) ハイレベル技術者 みたいな感じで。
「自分で○○すれば□□にできるよ。自分の人生は自分で決めよう」といったときに、飛躍があったり自分との差が大きすぎると、それは夢や目標ではなく「到達不可能点」として認識される。「○○するのが難しいのに…。この差を埋めるには自分で何とかしろってことかい」みたいに考えてしまい、「結局自己責任かよ」という印象を残してしまうのかなと。


ソフトウェア技術者の仕事というのは、プログラムと仕様書の、あるいは仕様書と人のニーズとのギャップを埋める作業なわけで。SIerなんて特にそうだと思うのだけど。不連続点を認識して埋めていく感じにしないと、自己責任論者とか内輪とか、「あっちの人たち」という認識をされてしまうんじゃないかなあ。
「運悪くコードを書く経験の無いまま業界に入ってしまった人はどうすれば良いか」に対して「コードを書く経験が無い状態で業界に入ってくること自体がちょっと問題〜大人なんだから自己責任でやらなきゃダメだろ?」とか、正論ではあるけど、それはコードを書けるのが当たり前と思っている人たちの弁。
きっと(想像だけど)SIerの中には一日中稟議書とかばっかり書かされている人たちとかがいて、そういう人たちには「コード書けるようになるともっと楽しいよ!未来が広がるよ!」とかそういうレベルのメッセージを送るのがいいんじゃないのかなあ。「コード書けるのなんて当たり前、オープンソースコミュニティにがんがんコミットするよ」みたいなのはハイレベルすぎるのではないかと。
仕事でコードを書く機会がなければ趣味で書いてみるとか。そしてそれがたまに仕事に役立ったり。それこそスピーカーの人たちの得意分野だと思うのだけど、そういう話は出なかったのだろうか。
ギョーカイの未来とか真面目に考えるとおなかいっぱい。自分には楽しいエンジニアライフを送るには?くらいがちょうどいいかなあと思う。