Googleストリートビュー

自宅の前も映ってた。かなり網羅しているのにびっくり。
レスポンスの短さや擬似3D感覚など、技術的には非常に素晴らしいものだと思う。

革新的な新しい技術は文化を破壊する側面はあるわけだけど、それが不道徳なものと見なされるのか、あるいは便利なものと見なされるかはメリットを感じる人の数にもよるのではないか。例えば電話なんて旧来の考え方からすれば失礼極まりない道具だけど、今では生活に欠かせないものになっている。

グーグルの新機能「ストリートビュー」が、論議を呼んでいる。上の画像はわが家の近所だが、確かに驚異的な細密さだ。私は意に介さないが、これを「気持ちが悪い」という人がいるのも事実だろう。先行してサービスが始まった海外でも、訴訟などが起こっている。これに対して「自分の家を映すのはやめてくれ」というのは自由だが、法的根拠はない。風景は個人情報ではないからだ。まして「サービスをやめろ」などというのは暴論である。

「ストリートビュー」騒動をめぐる誤解 - 池田信夫 blog

映ったものが風景かどうかは、そこが公的空間かどうかによると思うのだが。個人的には、庭先は風景じゃなくてひとんちかな。

ところが日本の都市部生活者は逆で、家の前の生活道路、いわゆる路地のほうが感覚的には自分の生活空間の一部、庭先なのです。日本の都市部では、家の前の公道を掃いたり、打ち水をしたり、雪かきをしたりするのが居住者のつとめとされています。下町を歩いているとよくわかるけれど、家の前の路地に鉢植えとかちょっとした物置とかをはみ出して置いてあるのもその感覚の表れです。

[http://www.higuchi.com/item/385:title=Google の中の人への手紙 [日本のストリートビューが気持ち悪いと思うワケ] - higuchi.com blog]

この方を含めて反発する人がそれなりにいるみたいなのだが、日本の都市部の狭い道路が私道的な性格を持つということがある。生活空間というより私的空間の方がより適切だと思う。元々私道や私有地だったところも非常に多いので、家の前の道路までを含めて自分の空間という意識を持っている人が少なからずいるんじゃないだろうか。私道を公開すると言われたら、デメリットを感じる人のほうが多いはずだ。
おそらく片側二車線以上ある道路だけが対象なら反発は相当減るだろう。

meatspaceはサイバースペースと根本的に違うんだということを、この問題が気づかせてくる。ネットの中では、この手の問題に関して ROBOTS.TXT (訳注:Webサイトが検索エンジンに登録不可であることを伝える規約)という解決策を導き出してきた。そして、ウェブサイトではプライベートなものの方が例外だということにはみんな同意するだろう。所有者が(ROBOTS.TXTに)特記して初めて立ち入り禁止になる。グーグルはネットの企業であり、この世界をインターネットの延長線上にあるものとしてとらえているんじゃないかな。

しかし、リアルワールドはネットとは違う。そして、リアルワールドでは、ROBOTS.TXTのような規約は反転されるべきだ。どのデータが立入禁止かということを、人々がグーグルに伝える責任を負うのではなくて、グーグルの方が全ての人に対して、どのデータがパブリックなものかを確認すべきだ。グーグルの企業文化は、meatspaceにおける情報収集に関しては、全くの不適合なんだよ。

ストリートビュー批判の「Google の中の人への手紙」の海外での反響 - アンカテ

また、除外のオプトアウト方式(対象者が除外を申告する方式)にも問題があります。広告メールはオプトアウトが違法化され、オプトイン(対象者が許可を申告する方式)しか認められなくなります。このGoogle Maps ストリートビューでは、「被害者が、全世界に公開されてから、自分でアクセスして被害を見つけ出し、除外を申告しなければならない」というオプトアウト方式を採っています。そもそもインターネットを利用していない人は、ケータイからのネット利用を除外すれば実は日本では多数派かもしれません。そのような状況で被害者側に確認を強いるのはフェアではありません。

Google Maps ストリートビューはどうすれば受け入れられるようになるか?

など、オプトイン方式になっていれば抵抗は少ないだろうなとは思うけど、それではストリートビューが死んでしまう。
技術者としては、ある程度の反発があることは予見できた上で、あえてぶつけてきたところは先駆者として評価すべきじゃないかなと思う。しかしながら、仮にストリートビューがリアルタイム更新になったとすると住民監視システムになってしまうわけで、それはやばい代物である。
逆に考えると、更新頻度が低ければ問題はそれほどないんじゃないかという風にも思えてくる。例えば、道路の幅に応じて更新間隔を決めるようにして、幅6m以下みたいな狭い道路は数年に一度の更新にするとか、数年遅延させるとかにすれば、資料的性格が強まり、また、リアルタイムで覗き込むという感覚もなくなるのではないだろうか。