自由な電話機
開発者の自由度を高めることで、開発者の情熱を引き出す。
iPhoneという奇跡:江島健太郎 / Kenn's Clairvoyance - CNET Japan
を読んだ感想。
a. iPhoneは革命的?
- キャリアと距離を置いている(iPhoneが本当に怖いのは1年後!? アップデートを政治的に許せる体制はじわじわ効いてくる - キャズムを超えろ!)
→ 革命的 - 着呼イベントが取れる
→ 革新的(blog.Winding-life.net > Blog Archive > iPhone, Push Notification Service, MobileMe) - Dock(起動画面)がカスタマイズできる
→ 革新的だけどW-ZERO3でも可能(見栄えがするかどうかはさておき) - ボタンの少なさ
→ 人による(個人的には過剰なエレガントさを求めるあまり不便になってる気が) - Skype(VoIP)が使える
→ 革新的だけどW-ZERO3でも可能 - シングルタスク(TechCrunch Japanese アーカイブ ? iPhone SDKとその制限:いいことずくめではないディテール)
→ 時代遅れ
b. iPhoneは自由?
- SDKで色々できる
→ 自由 - 音楽ライブラリにアクセスできない(かつて音楽と呼ばれたもの ? Blog Archive ? iPhoneは「プログラミングのできるウォークマン」ではなかった)
→ 不自由
ところで自由な電話機というものについて考えてみると、携帯電話が完全にIP化するとしたら
こんな感じで進化するのだろう。IP至上主義者にとっては伝送路からアプリケーションやサービスを独立させ、キャリア電話網なしでも一通りの機能が使えるのが真に自由な状態。その点で、W-ZERO3が画期的だったのはSkypeなどVoIPのソフトウェアが開発・動作できること(通話用のマイクが使えないといった問題はあったにせよ)。Windows CE(Windows Mobile)は見た目はいまいちだけど自由度が高いのは評価できる。
iPhoneは革新的かもしれないけどそれほど自由でもない。が、真に自由になったらそれはたぶんiPhoneじゃなくなるので、Appleとしてもそれは望まないはず。Appleはユーザーが「十分に自由な感じ」を得られればそれでいいと思ってるんじゃないか。
それはそれとして、自由なプラットフォームだからといって普及するとは限らないのがコンシューマの世界。