20年くらいプログラマをやってみて
気がついたら就職してから20年以上たっていたので感想を書いてみる。
1997
- 新卒入社、給与は年400万くらい。
- Windowsアプリと組み込み(8086のアセンブラ)を3年くらいやった。
- EEPROMを紫外線で消して焼き直したり、デバッグセッションを開始するまでに5分待ったりするなど、昭和のデバッグを満喫した。
- 製造業の部署は、仕様はハードウェアチームが決めてソフトウェアはそれに合わせるという流れで、ソフトウェアはおまけみたいな感じ。
- Windowsアプリチームはコードを書くのが好きな一方、組み込みの部署は職人的だけど死にそうになりながら作業していた。
- 人を大切にしない会社だった。悪い例からたくさん学んだ。
2000
- 転職して給与が100万くらい上がった。
- 開発の仕事だと思って入社したら、開発支援部隊にアサインされてしまった。勉強にはなったが、文句を言っていたらYRPに飛ばされた。
- 3Gの試作機の開発は最高に楽しかった。冷蔵庫みたいなサイズの試作機を相手に、朝から晩まで開発と検証を繰り返した。独自OS・独自CPUでコンパイラもバグっていたので、Visual C++でモックとテストを書いたりしていた。
- 現場のボスがビジネスもわかって技術に長けているにも関わらず謙虚な人で、今思うとサーバントリーダーだった。
- 技術的は面白かったが、仕事が嫌いな人がいたりして、大企業は自分には合わないと思った。
2001
- 雑誌でCPUのベンチャーを発見してしまい、勢いで転職した。給与が100万くらい上がった。
- アセンブラとかリンカとかデバッガを作った。記念にCPUの命令セットの一部の定義をさせてもらったりした。
- STLをCにポーティングした酔狂な人とか、CPUが設計できる人、コンパイラが実装できる人など、優秀な人がたくさんいて刺激を受けた。
- 自分が楽しく、チームがよりよく仕事をするためにどうするか、という意識の人がいて、ここでの経験が自分の糧になっているように思う。
2003
- いろいろうまくいかなくて転職した。給与が200万くらい上がった。
- 変なCPUのLinuxのカーネルをさわったりしていた。まだgitが使われておらず、LKMLにはあらゆるパッチが飛び交っており、Linuxは人類には早すぎると感じた。
- ギーク文化の会社で大変良かった。
2006
- 諸般の事情で転職した。給与が200万くらい下がった。
- 体を壊したり死んだりする人がいたりして、健康第一だと思うようになった。テニスを始めた。
- Windowsのデバイスドライバを書いたり、Flashアプリを書いたり。組み込みも細々とやっていて、ファームウェアアップデートを実装したりしたので、この頃はNAND flashからAdobe Flashまでをカバーしていた。
- 製造ミスで電源が入らなかったり、要件がハードウェアの性能を超えたりする面白イベントが起きたりした。
- リモートワークしつつ家族を介護したりしてみた。
- 実直で真摯な人が多くて良い会社だった。
2010
- iPhoneアプリやってみようかなと思って転職してみた。最終的には給料が2倍になった。
- なりゆきからwebのバックエンドをやることになり、顧客と一緒にシステムを作っていった。よい勉強になった。
- Windows、mac、Android、iPhoneのアプリを作りつつwebのバックエンドもメンテするというような無茶なことをしてみた。結果どれも中途半端ではあったが、やればできるかもという気持ちになった。
- 競技プログラミングをはじめた。すごい人たちと知り合いになれてよかった。
- 会社の文化はそんなに良いものではなかった。しかしお金を稼ぐことには貪欲で、そこは大事だと思った。
2015
- 自社開発という言葉にあこがれて転職してみた。給料が半分になった。
- Androidアプリをゼロから作ることができた。全く良い設計ではないものの、よい経験になった。
- 自社開発は自分たちで決めて自分たちで作るので、受託と比べて会社全体の雰囲気はよい気がする。ただ自社開発だからといってもやはり仕事なので、業務のコードを書きたくない人もいるということを知った。
現在
- iOSアプリ開発者として現在に至る。給料がちょっと増えた。そろそろ転職10回に届きそう。めでたい。
- 新卒でいわゆる良い会社に入ることができず、自分の性格もあって転職を重ねることになったが、今の総合電機メーカーの凋落を見るに、結果的にはこれはこれでありだったかなとは思う。
- 良い例、悪い例を色々見てきて、自分にとってのよい環境についての知見が得られた。
- 最近ではプログラマという表記はあまりはやっていなくて、自分もソフトウェアエンジニアと言ったり書いたりする機会が増えた。
- 新卒の頃は自分自身がソフトウェアエンジニアという職を理解していなかった。最近では、日本でも日々ソフトウェアエンジニアという職業が確立されていっているような実感がある。
- 若かりし頃と比べて記憶力もないし体も不調になったりして、プログラマを続けていられるだけで相当恵まれている気がしている。
- 特にまだ何も成し遂げていないので、とりあえず仕事ができるうちは仕事したい。